美空ひばりの手紙
日本の歌謡史に大きな足跡を残した、美空ひばりは、戦後激動の時代を働き続けてきた国民にとって、大きな心のよりどころであった。毎日を、ひた向きに努力する人々にとって、ひばりの歌が束の間の安らぎを与えてくれたのだ。美空ひばりは昭和12年7月、横浜市磯子区滝頭の魚屋「魚増」の長女として生まれた。家にはレコードがあり、幼い頃より歌の好きな両親の影響で歌謡曲や流行歌を唄うことの楽しさを知り、少女時代からスターを目指して努力を続け、ついにはその七色の裏声は他の誰にも真似の出来ないスター歌手となった。
しかし、1989年不幸にも病魔に冒され永眠したが、没後に、長年の歌謡界に対する貢献を評価され、女性として初めてとなる、国民栄誉賞を授与されたのだ。
平成10年・朝日新聞、日曜版の連載で「100人の20世紀」の中に美空ひばりが取り上げられている、日本人20人の中の1人なのだが、この記事の中に倅・加藤和也に宛てて書いた「朝の手紙」は仏のような慈悲に満ちたものなのだ。その傑出した人間性は、その七色の裏声と共に、他には類を見ない。
和也とは、離婚した弟の子を伯母にあたる、ひばり、が引き取った子供だった。
《おはよう! ! このボール 上のベランダにおちていましたよ じゃ げんきでかえってきてね いってらっしゃい ! !(ママ)》
《かずや おはよう! ! きょうと あしたと二つあえませんね 耳がとてもしんぱいですが ままは それでも おしごとに いかなければ・・・だから和也も良い子で がんばらなくちゃいけませんよ ひとりでねられる もっとつよい子に ! ! だんだんれんしゅうしてくださいね》

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